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指導法の転換期 その2)

 

チェルニー30番をやらずに音大に入っている友人たちが

とくに技術的に劣っているわけではなく

替わりに何をするかと言うと

グレードの試験を受けるのです。

音大受験に必要なグレード8では

ベートーヴェンの初期のソナタなどが

課題に入りますが

バロック・クラシック・近現代と

3曲が課題になるのが普通で

それは グレード1から同じです。

 

日本ではチェルニーの練習曲をするのが

普通なんだよ というハナシをしてもみんな

「しらない 何それ?」

というリアクションで

「それって良い曲?」

と聞かれると 答えられません(>_<)

もちろん 中にはキレイな曲もありました が

例えば発表会で弾くためには選曲しないでしょう。

 

と言うことで これまでの指導者人生では

ハノン・チェルニーは 一度も教えたことはありません。

そのくらいのレベルになったら

発表会でも演奏できる スカルラッティのソナタ

ハイドン・ヘンデル・ベートーヴェン・モーツァルトなどの

ヴァリエーション(変奏曲)を

練習してもらいます。

 

せっかく練習するのであれば

発表できる曲を練習した方が良くない?

と ただ単純に思うのです。

 

また 私は教則本も全曲することはまずありません。

元気な曲が好き という生徒の場合

静かな曲は飛ばします。

もちろん 音大に行きたい 音楽の道に進みたい

などとなればそうも行きませんが

趣味で楽しんでいるんですから

楽しく出来なければ意味がないと思っています。

 

ピアノの上達にはもちろん日々の練習が欠かせませんが

練習したいとモチベーションが上がらなければ

イヤイヤ練習することになります。

難しくても克服したい 弾けるようになりたい

という気持ちで練習を重ね

特に発表会の時にはみんな ぐんと実力を付けます。

 

地道な訓練・修行を否定するつもりは毛頭無いのですが

基本は押さえつつも 楽しく学ぶこと

それが大切だと思っています。

 

私がこどものころの野球というと

「巨人の星」に代表される

根性物語の集約のようなものでした。

科学的な根拠がないから

体育の授業から「ウサギ飛び」が無くなったように

ひたすらに精神論てがむしゃらに練習するのが無意味なように

指導法はどんどん変わって行くべき何だろうと思います。

 

かつて自分が教えられたように教えるのは

ある意味楽なことかも知れませんが

自分が嫌だったことを生徒にさせるのが嫌なので

自分なりに考えて指導していますので

そう考えると 常に転換期なのかも知れません(^^;)